華舞遊の歴史


華舞遊は、2000年の10月に20名程で結成され
2001年の夏にデビューしました。
名前の由来は、形にとらわれずに皆が華やかに
舞って遊ぼうと言う感じで、それ以上の深い意味は
有りません。
最初は初心者の人が多いため、なかなか自分達の
目指す物にならず、大変だった事を思い出します。
寒い時期から一生懸命練習して鳴門で初めて演舞
場に踊りこみ、拍手をしてもらった時は正直涙が
出そうになりました。
方向性も何も無く、ただひたすらに突っ走っていた
というのが初年度の素直な感想です。
2年目になると、初年度のような緊張も無く、
有り難い事に華舞遊の存在を認めてくれる
連や人も少しずつ増えて来て、その反面
なぜかけんか腰で挑発してくる連もあったりと、
良くも悪くも少しずつでは有るが、存在感が
ちょっとは出てきたのかなぁー?と感じた年でした。
三年目になると、人数も倍近くに増え好意に思って
くれる連や、移動中にも(華舞遊最高〜)
とか声がかかる様になり、俺らのやってる事は
間違ってない!と確信しました。
写真集の中にも在りますが、東新町のニコニコ屋
の前でやった時、ビックリする位の数の観客が
足を止めて踊りに見入ってくれ、何人もが踊り
の輪の中に入りました。楽しそうに踊るその人達を
見ていると、大変な練習だけど頑張って良かった
と心から思いました。なんとアンコールまでかかり
これからの華舞遊の大躍進に繋がる年でした。
2004年度は桟敷の2部制や有名連以外の締め出し
など、なにかと色々な事がありましたが、華舞遊は
相も変わらず絶好調で外でのゴタゴタはお構いなしで、
好き勝手に街中で踊りまくりました。  
2004年は人数を増やさないでいたため連員自体は
増えてませんが、格段にレベルアップしたなーと感じた年でした。
2005年度は「連長が本番当日に緊急入院」という最悪の
アクシデントにかかわらず、全員が一丸となって乗り切りました。
より一層団結が深まり、連自体・連員・サポート隊と皆が大きく
成長出来た年でした。
大変だったけど、この経験は必ず今後の華舞遊の発展の礎に
なると思います。
2006年度はとても充実した年でした、大切な仲間である
マッキーの死を乗り越え、連員一同仲間の大切さを再認識しました。

最終日ケンカ腰で内町に踊りこみ、出口で皆が遺影に向かい
踊った時は涙が出そうになりました。